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ベランダ菜園記録17
気温の上昇はあまり感じられない関東地方です。
晴天の多い関西がうらやましいです。夏好きなので。
曇天の中、それでも少しずつ緑の勢いが強まっています。

ちょっと前に撮影した鉢植えさくらんぼです。
合計4粒、収穫できました。
小粒ですが、甘酸っぱく、美味しいものだったそうです。
(私の口には入らなかった。)

これも少し前に撮影した赤たまねぎ。
まだまだ大きくなるかもしれませんが、
プランター栽培なので無理せずにぎりこぶしくらいで収穫しました。

ミニトマトは1個目が色づきました。
例年になくよく実がつき、青々とがんばってくれています。
今年は肥料(油粕など)をかなり気合入れて与えているからかしら。
日当たりは「少し改善」くらいのレベルで、やっぱ足りないと思うんだけど。

アサガオは絶好調。そろそろ一つ目のつぼみが開きそう。
さとみが学校から間引きしたアサガオ苗を2本持ち帰ったのですが、
もう植える場所なく、申し訳ないが同居してもらうことにしました。

レモン。もしかしてもしかすると、このまま落ちずに実ってくれそう??
期待に胸が膨らみます。
現在こんなレモンの赤ちゃんが6個、日に日にふくらんできています。
このまま初収穫!!?? できたらいいなあ・・・。
晴天の多い関西がうらやましいです。夏好きなので。
曇天の中、それでも少しずつ緑の勢いが強まっています。

ちょっと前に撮影した鉢植えさくらんぼです。
合計4粒、収穫できました。
小粒ですが、甘酸っぱく、美味しいものだったそうです。
(私の口には入らなかった。)

これも少し前に撮影した赤たまねぎ。
まだまだ大きくなるかもしれませんが、
プランター栽培なので無理せずにぎりこぶしくらいで収穫しました。

ミニトマトは1個目が色づきました。
例年になくよく実がつき、青々とがんばってくれています。
今年は肥料(油粕など)をかなり気合入れて与えているからかしら。
日当たりは「少し改善」くらいのレベルで、やっぱ足りないと思うんだけど。

アサガオは絶好調。そろそろ一つ目のつぼみが開きそう。
さとみが学校から間引きしたアサガオ苗を2本持ち帰ったのですが、
もう植える場所なく、申し訳ないが同居してもらうことにしました。

レモン。もしかしてもしかすると、このまま落ちずに実ってくれそう??
期待に胸が膨らみます。
現在こんなレモンの赤ちゃんが6個、日に日にふくらんできています。
このまま初収穫!!?? できたらいいなあ・・・。
病院に通う
新型インフルエンザが騒がれ、
最中に関西へ行った割には大丈夫だった我が家。
しかし、病弱なさとみは違うものをもらってきました。
「おたふく風邪」
流行性耳下腺炎については、さとみは
確かに値の張る予防接種の注射をしたはずなんですが、
どうやら免疫を取得していなかったらしく。
運が悪かったね〜。と医師と看護師。
30人のクラスで半数がり患し、
一番症状が重かったさとみ、
10日ほど休みになってしまいました。
だって、耳下腺の腫れと痛みがなかなかひかなくて、
医師の治癒証明がなかなかもらえなかったんだもん。
同じタイミングで予防接種を受けていたゆきは、
確か予防接種なのに副反応で耳下腺が腫れて、
「明らかに免疫を獲得した様子」ということで、
姉妹間感染はなくてよかったです。
超小顔のさとみのえらがぼよんと腫れあがり、
40度の発熱でひーふー寝込みました。
その後どんどん軽快しながら学校へ行けず、
長々と自宅療養してくれちゃって、
見事に私の運動不足を増強してくれましたよ。
ゆきはというと、
急性中耳炎 → 急性外耳炎 もしくは、
急性外耳炎 → 急性中耳炎 を
交替で繰り返し、耳鼻科へ通う頻度が高く。
ついでに眼科も視力悪化でたびたび訪れ。
さとみの歯科矯正もそろそろ始まるのでそれも通うし。
千葉に来てから医療費がすごいなあ。
働きたいなあ。
最中に関西へ行った割には大丈夫だった我が家。
しかし、病弱なさとみは違うものをもらってきました。
「おたふく風邪」
流行性耳下腺炎については、さとみは
確かに値の張る予防接種の注射をしたはずなんですが、
どうやら免疫を取得していなかったらしく。
運が悪かったね〜。と医師と看護師。
30人のクラスで半数がり患し、
一番症状が重かったさとみ、
10日ほど休みになってしまいました。
だって、耳下腺の腫れと痛みがなかなかひかなくて、
医師の治癒証明がなかなかもらえなかったんだもん。
同じタイミングで予防接種を受けていたゆきは、
確か予防接種なのに副反応で耳下腺が腫れて、
「明らかに免疫を獲得した様子」ということで、
姉妹間感染はなくてよかったです。
超小顔のさとみのえらがぼよんと腫れあがり、
40度の発熱でひーふー寝込みました。
その後どんどん軽快しながら学校へ行けず、
長々と自宅療養してくれちゃって、
見事に私の運動不足を増強してくれましたよ。
ゆきはというと、
急性中耳炎 → 急性外耳炎 もしくは、
急性外耳炎 → 急性中耳炎 を
交替で繰り返し、耳鼻科へ通う頻度が高く。
ついでに眼科も視力悪化でたびたび訪れ。
さとみの歯科矯正もそろそろ始まるのでそれも通うし。
千葉に来てから医療費がすごいなあ。
働きたいなあ。
大阪帰省
とうとう夫の祖母が亡くなり、
大阪へ平日3日間も帰省していました。
日曜日の昼過ぎに亡くなって、
こちとら何日休まなあかんねん!とあきれつつ、
さらには新型インフル発生で大騒ぎの関西へ、
何でまっただ中に亡くなってくれたのか、本当に・・・。
ぶちぶち言いながら、いやいや帰省。
新幹線自由席で家族4人、往復約8万円。
これで指定席なら10万はいきそうな。
娘二人学校を休むのに、
曾祖母では忌引きは1日しかもらえないとのこと。
手伝いと通夜と葬式と初七日と骨上げと納骨、
そして関西への帰省の往復では、先生、1日では足りません。
帰省してびっくりしたのですが、
夫の実家は葬儀関連がめちゃめちゃこってりしていて、
私からは常識外れとしか言えないレベルのお金のかけよう。
「本家の長男の嫁」ということで、享年90歳の曾祖母は、
死んでからやっと手厚く扱われ、存在を知らしめた感じでした。
「生前はあんなにあんなに軽んじられていたのに。」(心の声)
葬式か結婚式でないと顔合わせへんしなあ〜と、
どこまでもどこまでも離れた親族がそろい踏み登場。
特に偉そうなごっつい先祖がいるわけでもないのですが、
近親的な結婚・養子縁組も多い3・4家内で、
「私は○●の夫の嫁の妹の嫁ぎ先の者で・・・。」
「私の嫁の里の叔母の方の親戚の娘は▽▽ちゃんと同じ学校で・・・。」
と延々続く自己紹介と血筋の説明会・・・。
これほど遠い血縁の方々が来られるのであれば、
うちは「血が濃いから焼香はあなたが先よ」と言われて当然か。
相当びびりましたが。
何も知らぬとはいえ、恐ろしい家に嫁いじゃったみたいっすね。
通夜、葬式ではまるで芸能人や政治家のような人数の弔問客。
ほとんどがおばあちゃんのためでなく家どうしの付き合いのため。
でもそうやって、斜めに物事を見る私が、実際少数派なのです。
おおまじめでお金をかけすぎの盛大な葬儀をする村なのです。
お酒を飲まない運転手、として車の運転で送迎など引き受け、
結果的に大活躍した私、まあそんな「いまどきの嫁」のレッテルを、
ペッタリ貼られてしまったのをありありと感じました。
片道約5時間の移動は「新型インフル」のせいで客が少なく割と快適、
関西からウィルスを持ち帰った張本人にならぬようマスクをつけてました。
帰省直前、「学校休んで大阪へ行きます」と言ったら、
学校の先生に「ゆきさんが心配です。」とクラスで言われたとのこと。
帰宅後も毎日検温して発熱していない事を連絡帳で知らせてあげてます。(笑)
夫の実家では49日ではなく、35日に法要をするそうで、
その他、初盆なども「血が濃い」ので参加をしないといけません。
できれば土日がうれしいのですが、と適切な意見を述べたつもりが、
ものすごい剣幕で土日ではなんとかかんとかと語る義母。
でも結局、6月のとある土日にすんなり決まり、
そして初盆は8月かな、頑張って帰省してきます。
3日分もの授業のプリントや宿題を、
うちの娘たちがひーひー言いながら頑張ってこなしたこと、
いつか義母に伝えたいものだ。
6月の35日の法要は、私の誕生日がからんだ旅行の予定があったのを、
仕方なくキャンセルしたという悲しい事実も、
いつか義母に伝えたいものだ。
大阪へ平日3日間も帰省していました。
日曜日の昼過ぎに亡くなって、
こちとら何日休まなあかんねん!とあきれつつ、
さらには新型インフル発生で大騒ぎの関西へ、
何でまっただ中に亡くなってくれたのか、本当に・・・。
ぶちぶち言いながら、いやいや帰省。
新幹線自由席で家族4人、往復約8万円。
これで指定席なら10万はいきそうな。
娘二人学校を休むのに、
曾祖母では忌引きは1日しかもらえないとのこと。
手伝いと通夜と葬式と初七日と骨上げと納骨、
そして関西への帰省の往復では、先生、1日では足りません。
帰省してびっくりしたのですが、
夫の実家は葬儀関連がめちゃめちゃこってりしていて、
私からは常識外れとしか言えないレベルのお金のかけよう。
「本家の長男の嫁」ということで、享年90歳の曾祖母は、
死んでからやっと手厚く扱われ、存在を知らしめた感じでした。
「生前はあんなにあんなに軽んじられていたのに。」(心の声)
葬式か結婚式でないと顔合わせへんしなあ〜と、
どこまでもどこまでも離れた親族がそろい踏み登場。
特に偉そうなごっつい先祖がいるわけでもないのですが、
近親的な結婚・養子縁組も多い3・4家内で、
「私は○●の夫の嫁の妹の嫁ぎ先の者で・・・。」
「私の嫁の里の叔母の方の親戚の娘は▽▽ちゃんと同じ学校で・・・。」
と延々続く自己紹介と血筋の説明会・・・。
これほど遠い血縁の方々が来られるのであれば、
うちは「血が濃いから焼香はあなたが先よ」と言われて当然か。
相当びびりましたが。
何も知らぬとはいえ、恐ろしい家に嫁いじゃったみたいっすね。
通夜、葬式ではまるで芸能人や政治家のような人数の弔問客。
ほとんどがおばあちゃんのためでなく家どうしの付き合いのため。
でもそうやって、斜めに物事を見る私が、実際少数派なのです。
おおまじめでお金をかけすぎの盛大な葬儀をする村なのです。
お酒を飲まない運転手、として車の運転で送迎など引き受け、
結果的に大活躍した私、まあそんな「いまどきの嫁」のレッテルを、
ペッタリ貼られてしまったのをありありと感じました。
片道約5時間の移動は「新型インフル」のせいで客が少なく割と快適、
関西からウィルスを持ち帰った張本人にならぬようマスクをつけてました。
帰省直前、「学校休んで大阪へ行きます」と言ったら、
学校の先生に「ゆきさんが心配です。」とクラスで言われたとのこと。
帰宅後も毎日検温して発熱していない事を連絡帳で知らせてあげてます。(笑)
夫の実家では49日ではなく、35日に法要をするそうで、
その他、初盆なども「血が濃い」ので参加をしないといけません。
できれば土日がうれしいのですが、と適切な意見を述べたつもりが、
ものすごい剣幕で土日ではなんとかかんとかと語る義母。
でも結局、6月のとある土日にすんなり決まり、
そして初盆は8月かな、頑張って帰省してきます。
3日分もの授業のプリントや宿題を、
うちの娘たちがひーひー言いながら頑張ってこなしたこと、
いつか義母に伝えたいものだ。
6月の35日の法要は、私の誕生日がからんだ旅行の予定があったのを、
仕方なくキャンセルしたという悲しい事実も、
いつか義母に伝えたいものだ。
ベランダ菜園記録16
久々のベランダ菜園記録。
引っ越しし仕事辞めて、
再就職ままならず、主婦なので、
ベランダ菜園に少し手がかけられます。
リハビリ程度に、以下育成中。

さとみが「1年生を迎える会」にて「2年生」にプレゼントされた朝顔の種が発芽しました。
昨年夏に育てて種をとったもの、だそうです。
ゆきが一昨年育ててとった種もついでに一緒に蒔いてやりました。
発芽率は極端にさとみの種の勝ち。
100均で支柱を買って、こじんまりと咲かせる予定。

「ご自由にどうぞ」前住地の近所の畑でたまねぎの苗が置いてありました。
3本もらってプランターで水やりだけしていたら少し丸くなってきました。
もしかして紫色のたまねぎなのかもしれません。楽しみ。

さくらんぼの鉢植えが2本あって、いつも片方しか花が咲きません。
自家受粉できないと聞いていたから2本入手したのですが・・・。
今年は花が少し多く咲き、ふとみたら小さなさくらんぼ!!
このまま甘く赤くなるのか途中で落ちるのか、まだ判りませんが、
何だ、自家受粉するんじゃない・・・。

こちらはいつも花だけ咲いて、実がふくらまずに落ちてしまうレモン。
一年に3,4回、満開になります。とてもいい香りがするんです。

そして、またミニトマトもチャレンジです。
午前中から2時頃までの日当たりしか期待できないベランダですが、
前のマンションよりましかな。ちゃんと育ちますように。
ではまた、気が向いたら記事書きます。
引っ越しし仕事辞めて、
再就職ままならず、主婦なので、
ベランダ菜園に少し手がかけられます。
リハビリ程度に、以下育成中。

さとみが「1年生を迎える会」にて「2年生」にプレゼントされた朝顔の種が発芽しました。
昨年夏に育てて種をとったもの、だそうです。
ゆきが一昨年育ててとった種もついでに一緒に蒔いてやりました。
発芽率は極端にさとみの種の勝ち。
100均で支柱を買って、こじんまりと咲かせる予定。

「ご自由にどうぞ」前住地の近所の畑でたまねぎの苗が置いてありました。
3本もらってプランターで水やりだけしていたら少し丸くなってきました。
もしかして紫色のたまねぎなのかもしれません。楽しみ。

さくらんぼの鉢植えが2本あって、いつも片方しか花が咲きません。
自家受粉できないと聞いていたから2本入手したのですが・・・。
今年は花が少し多く咲き、ふとみたら小さなさくらんぼ!!
このまま甘く赤くなるのか途中で落ちるのか、まだ判りませんが、
何だ、自家受粉するんじゃない・・・。

こちらはいつも花だけ咲いて、実がふくらまずに落ちてしまうレモン。
一年に3,4回、満開になります。とてもいい香りがするんです。

そして、またミニトマトもチャレンジです。
午前中から2時頃までの日当たりしか期待できないベランダですが、
前のマンションよりましかな。ちゃんと育ちますように。
ではまた、気が向いたら記事書きます。
目が悪い
私は何を隠そう両眼2.0の視力の持ち主で、
これはどうやら遺伝性のものらしい。
目がよくて困ることなんて経験なく、
目が悪い人の気持ちがわからないという難点はある。
次女さとみもどうやら私より遺伝したようで、
小学1年なのにもう2.0といわれたらしい。
長女ゆきは夫のド近眼を遺伝したらしく、
前から2番目の席でも「黒板が見えない」らしい。
黒板が見えないのではなく、
黒板の字が読めないようです。
これは小学2年の終わり頃から言い始めていて、
様子をみつつ眼科にて検査してもらったら、
小学2年の2月には両目で0.7程度と乱視とのこと。
眼鏡をかけるほどでもないだろう、と
目を休める目薬を処方されたのでした。
小学3年になり、年度初めの健康診断にて両眼0.3と診断され、
引越後眼科を探してまた検査へ。
前から2番目の席なら小学3年ならまだ大丈夫、と
また目薬を処方されたのでした。
出された目薬は2種類で、
1日3回つける方は、目の調節機能を正常にするもの?とか。
1日1回寝る前つける方は、目の筋肉を休めるもので、
瞳孔が開いてまぶしくなるのそうです。
瞳孔が開く方は、とってもしみていたいそうです。
経過観察のため、また受診予定です。
私は眼科へは、結膜炎くらいしか行ったことがない。
いよいよゆきの眼鏡をつくるのかとドキドキしていましたが、
眼鏡を作るのはできるだけ先へ延ばそうとするべきみたい。
勉強中、字が見えないってめんどうくさいようなんだけれど、
まあ、もうしばらく医者のいう事をきいてみよう。
これはどうやら遺伝性のものらしい。
目がよくて困ることなんて経験なく、
目が悪い人の気持ちがわからないという難点はある。
次女さとみもどうやら私より遺伝したようで、
小学1年なのにもう2.0といわれたらしい。
長女ゆきは夫のド近眼を遺伝したらしく、
前から2番目の席でも「黒板が見えない」らしい。
黒板が見えないのではなく、
黒板の字が読めないようです。
これは小学2年の終わり頃から言い始めていて、
様子をみつつ眼科にて検査してもらったら、
小学2年の2月には両目で0.7程度と乱視とのこと。
眼鏡をかけるほどでもないだろう、と
目を休める目薬を処方されたのでした。
小学3年になり、年度初めの健康診断にて両眼0.3と診断され、
引越後眼科を探してまた検査へ。
前から2番目の席なら小学3年ならまだ大丈夫、と
また目薬を処方されたのでした。
出された目薬は2種類で、
1日3回つける方は、目の調節機能を正常にするもの?とか。
1日1回寝る前つける方は、目の筋肉を休めるもので、
瞳孔が開いてまぶしくなるのそうです。
瞳孔が開く方は、とってもしみていたいそうです。
経過観察のため、また受診予定です。
私は眼科へは、結膜炎くらいしか行ったことがない。
いよいよゆきの眼鏡をつくるのかとドキドキしていましたが、
眼鏡を作るのはできるだけ先へ延ばそうとするべきみたい。
勉強中、字が見えないってめんどうくさいようなんだけれど、
まあ、もうしばらく医者のいう事をきいてみよう。
転校生・新入生
小学入学と引越のタイミングが重なった次女と、
転校生となった長女について、
しばらくちょっと作業に追われて緊張しました。
まあ、長女も次女も私もあまりそう人見知りはしないんで、
人間関係ではさほど緊張しなかったんですが。
とりあえず物理的に、
以前の小学校での慣習と違うので、
縫った、縫った。
防災頭巾カバー、給食袋、ナフキン、お道具袋、体操服袋など。
もともと持っている物ももちろん利用はするけれど、
名前つけたりしないといけないし、
予備も入れて何セットか、それを2人分作りました。
引越終わってから作業したので、時間が限られ、
裁縫するため何度も夜更かししました。
1年生のためにさとみの文具や算数セットの小物などにいちいち名前をつけ、
3年生から購入することになったゆきの書道のセットの小物などにいちいち名前をつけ、
そんなちまちまとしさ作業も意外と時間と手間がかかるものですね。
準備品だけではなく、慣習というか、慣例というか、
ここの人が当たり前の事が当たり前ではなかったり、もあります。
前の学校では給食のためのナフキンなんてなく、
したがって給食袋もなく、
長女は「給食袋を毎日持ち帰り洗濯し、
新しいものを翌日持っていく。」という感覚がないようです。
2,3日に一度は忘れてしまっているよう。
ハンカチ、ティッシュを持参しているか保健係が毎朝チェックするそうで、
それも前の学校とは違っているから毎日のように忘れるゆき。
(ランドセルにいつもしのばせときゃいいのに、と考えつぶやくさとみは、
私とそっくりだと思う。)
クラスの他の子が持っていてゆきが持っていないものは用意しないといけない。
でも、算数セット(おはじきとかカードとか)、あさがおなどの植木鉢、って
なんと引越さわぎでどうも捨ててしまったらしい。
オークションで見つからんかとネット検索したが、タイムリーに見つからん。
それに、理科のたんけんセット、たんけんファイル、って、これなんやねん?
説明聞いてもよく判らんし、まあ適当に持っていかせたわ。
ところで、何で赤鉛筆でなく、赤青鉛筆を使うの?
(これがかなりまた活躍している教育現場のようなんだわ。)
紅白帽はつば付で、これはゆきが「つばなしの前のはいやだ。」というので、
あわててまた探して買うことに。
連絡帳に書く内容も略号みたいなものも、今までなかったから不思議だし、
学校行事も保護者会の雰囲気も内容もかなり違っている。
PTA役員の決め方も組織も内容も行事も、ずいぶん違うよう。
東京の小学校では当たり前だった一輪車も、こちらでは全く見かけない。
もちろん、ローラーブレードも全く見かけない。
でも、インドアだった東京の子供たちとは違い、
縄跳び、自転車などで、ぶんぶん外遊びをする子どもたち。とっても健全に見えるわ。
ゆきは、小学2年生から3年生という、少しずつグループ意識やら対抗意識やら、
ややこしいものが芽生えて発揮しはじめる年代にあるのですが、
今のところ、転校生だからこそ、の視点も経験も、決定的なマイナスではなさそう。
夫の母親に似て、単細胞で近視眼的な性格は多々あっても、
あっけらかんと忘れ笑う姑の長所も遺伝しているし、
雑草のような性根のたくましさがキラリと光るゆき。
ひょうひょうとマイペースを貫き、自分で考え行動でき、一人でも遊べるし、
だれかれとなく自分を出せ、その場を楽しみ付き合うさとみ。
まあ、なんとかなるだろう。
ゆきも「他の人と同じじゃないと絶対いや!」なんてこだわる完璧主義でもなく。
さとみはもう毎日遊びすぎて真っ黒になるほど。最高に楽しんでいるし。
私も、それほど「溶け込まなきゃ!熱い付き合いしなきゃ!」と燃えるタイプでもなく。
とりあえず、とりあえず。
引越にともなう作業でまだやらないといけないことは山積みなんですが、
毎日少しずつこなしていっています。
今日はベランダの菜園を少しでも復活させようと思う。
あと、カーテンのすそあげ、4枚分。
主婦らしく、昼のメロドラマが観られるのも、もうすぐ。かな。
転校生となった長女について、
しばらくちょっと作業に追われて緊張しました。
まあ、長女も次女も私もあまりそう人見知りはしないんで、
人間関係ではさほど緊張しなかったんですが。
とりあえず物理的に、
以前の小学校での慣習と違うので、
縫った、縫った。
防災頭巾カバー、給食袋、ナフキン、お道具袋、体操服袋など。
もともと持っている物ももちろん利用はするけれど、
名前つけたりしないといけないし、
予備も入れて何セットか、それを2人分作りました。
引越終わってから作業したので、時間が限られ、
裁縫するため何度も夜更かししました。
1年生のためにさとみの文具や算数セットの小物などにいちいち名前をつけ、
3年生から購入することになったゆきの書道のセットの小物などにいちいち名前をつけ、
そんなちまちまとしさ作業も意外と時間と手間がかかるものですね。
準備品だけではなく、慣習というか、慣例というか、
ここの人が当たり前の事が当たり前ではなかったり、もあります。
前の学校では給食のためのナフキンなんてなく、
したがって給食袋もなく、
長女は「給食袋を毎日持ち帰り洗濯し、
新しいものを翌日持っていく。」という感覚がないようです。
2,3日に一度は忘れてしまっているよう。
ハンカチ、ティッシュを持参しているか保健係が毎朝チェックするそうで、
それも前の学校とは違っているから毎日のように忘れるゆき。
(ランドセルにいつもしのばせときゃいいのに、と考えつぶやくさとみは、
私とそっくりだと思う。)
クラスの他の子が持っていてゆきが持っていないものは用意しないといけない。
でも、算数セット(おはじきとかカードとか)、あさがおなどの植木鉢、って
なんと引越さわぎでどうも捨ててしまったらしい。
オークションで見つからんかとネット検索したが、タイムリーに見つからん。
それに、理科のたんけんセット、たんけんファイル、って、これなんやねん?
説明聞いてもよく判らんし、まあ適当に持っていかせたわ。
ところで、何で赤鉛筆でなく、赤青鉛筆を使うの?
(これがかなりまた活躍している教育現場のようなんだわ。)
紅白帽はつば付で、これはゆきが「つばなしの前のはいやだ。」というので、
あわててまた探して買うことに。
連絡帳に書く内容も略号みたいなものも、今までなかったから不思議だし、
学校行事も保護者会の雰囲気も内容もかなり違っている。
PTA役員の決め方も組織も内容も行事も、ずいぶん違うよう。
東京の小学校では当たり前だった一輪車も、こちらでは全く見かけない。
もちろん、ローラーブレードも全く見かけない。
でも、インドアだった東京の子供たちとは違い、
縄跳び、自転車などで、ぶんぶん外遊びをする子どもたち。とっても健全に見えるわ。
ゆきは、小学2年生から3年生という、少しずつグループ意識やら対抗意識やら、
ややこしいものが芽生えて発揮しはじめる年代にあるのですが、
今のところ、転校生だからこそ、の視点も経験も、決定的なマイナスではなさそう。
夫の母親に似て、単細胞で近視眼的な性格は多々あっても、
あっけらかんと忘れ笑う姑の長所も遺伝しているし、
雑草のような性根のたくましさがキラリと光るゆき。
ひょうひょうとマイペースを貫き、自分で考え行動でき、一人でも遊べるし、
だれかれとなく自分を出せ、その場を楽しみ付き合うさとみ。
まあ、なんとかなるだろう。
ゆきも「他の人と同じじゃないと絶対いや!」なんてこだわる完璧主義でもなく。
さとみはもう毎日遊びすぎて真っ黒になるほど。最高に楽しんでいるし。
私も、それほど「溶け込まなきゃ!熱い付き合いしなきゃ!」と燃えるタイプでもなく。
とりあえず、とりあえず。
引越にともなう作業でまだやらないといけないことは山積みなんですが、
毎日少しずつこなしていっています。
今日はベランダの菜園を少しでも復活させようと思う。
あと、カーテンのすそあげ、4枚分。
主婦らしく、昼のメロドラマが観られるのも、もうすぐ。かな。
夫の祖母
夫の実家は京都よりの大阪で、古い住宅地(もとは農地)にあり、
まわりはほとんど同じ苗字のおうちばかり、そして
両親はすごい時代錯誤の感覚の持ち主です。
実家から離れて暮らす転勤族の核家族としては、
ときに意味不明な常識を主張する不思議な人種なのです。
長女、夫と同じく、姑さんはド近眼で、
性格もとってもとっても近視眼的。井の中の蛙というタイプ。
大体本当に私はサバサバした男っぽい性格なのですが、
姑はサバサバさゼロ、まったくもってじっとりネバネバ婦人なのです。
夫は男の子2人兄弟の次男で、長男さんは未婚。
姑さんの事を不思議と思いながら、孤立無援な嫁のちーちゃんです。
夫の実家にはもう90近い祖母と100近い祖父が同居しています。
90近い祖母は姑と最高に折り合いが悪く、
私たち夫婦が結婚した当時からずっと、
姑はネチネチと過激な悪口雑言を嫁の私に聞かせていました。
孫たちに対してみせる猫なで声とは一転、
ヒステリックに攻撃的に祖母に咬みつくような声を投げ、
祖母の話には全く取り合おうとしません。
でも、確かに祖母も家事をしなかったり自慢話が多かったりと、
日々一緒に同居するためにすべき協力態度は欠けていたし、
何より体力がなくていつも自分が一番しんどいと思い込んでいたし、
姑にしたらカンにさわる存在だったのは事実のようです。
夫の祖母が認知症になり、入退院を繰り返したり、施設へ出たり入ったりするようになり、
姑のただでさえヒステリックな態度はエスカレートするばかりでした。
初期からいきなり、うえしたの区別がつかなくなり、家は大小便で汚れるし、
祖母自体もたびたびヒステリックに泣いたりわめいたりしていたらしいです。
姑は週に1度くらいは遠距離電話で私に詳細な愚痴を長々と語り、
遠方に住み、何の手伝いもできぬ私は聞いてあげるくらいしかできなかったです。
不思議な性格の姑ですが、やっぱりいろいろつらいことも多かったことでしょう。
とはいえ、ほとんど自宅介護はしないで、ずっと施設に預けていて、
食事も身の回りの世話もプロの手にゆだねていたんだし、
洗たく物さえ舅が1週間に一度届けていた程度。
いつ聞いても「早く死ねばいいのに」「死にそうだから、そのつもりでいて」
「通夜・葬式の日取りや段取りは・・・」「大阪に帰ってきて手つだってな」
そんな言葉にいきつくので、本当に悲しい不愉快な気分でいっぱいになります。
・・・ちなみに、まったく冗談で言っていないのです。本音らしいです。
そういう非倫理的な発言を、私の二人の娘の前でも平気で話すので、
その点がとても不思議です。勘弁してほしいです。非常識さにあきれます。
風邪をひいたとか、ベッドから落ちて骨折したとか、インフルエンザになったとか、
肺炎起こしたとか、夫の祖母が発病したり入院などするたびいちいち、
「もういつなんどき死ぬか判らないから、準備しといて。」の電話をもらうので、
今度は何や?とオオカミ少年状態です。
「もう人間の表情やない。」
「本当にもう、反応もなくなった。」
「今度は本当に死ぬかも。」と言われ、四国の親戚を呼び寄せたが、
持ち直し回復したのでまた四国へ帰ったそうです。
夫の祖母が施設にいて自宅にいない間は、今度は祖父が標的です。
目ももうかなり悪く、耳がほとんど聞こえず、
周囲と会話が成り立たない状態の98歳ですが、
自分で歩き、トイレも風呂も自分で入り、着替えや食事も自分でできます。
聞こえないのをいいことに、ヒステリックに悪口雑言を話す姑の姿を、
お盆もお正月も帰省して見ないといけないのが苦痛です。
夫の祖母がなくなったら、
多分千葉から大阪へ新幹線で行き、
数泊しないといけなくなるのでしょう。
いや。身内の不幸ですから嫁としてもちろん頑張って働こうと思うのです。
当然です。
でも、あの姑のそばへ・・・。(しかも嫁は私一人・・・。)
悪夢だと思いませんか。
できればぐっとぐぐっと長生きしてください、おおおばあ様。
まわりはほとんど同じ苗字のおうちばかり、そして
両親はすごい時代錯誤の感覚の持ち主です。
実家から離れて暮らす転勤族の核家族としては、
ときに意味不明な常識を主張する不思議な人種なのです。
長女、夫と同じく、姑さんはド近眼で、
性格もとってもとっても近視眼的。井の中の蛙というタイプ。
大体本当に私はサバサバした男っぽい性格なのですが、
姑はサバサバさゼロ、まったくもってじっとりネバネバ婦人なのです。
夫は男の子2人兄弟の次男で、長男さんは未婚。
姑さんの事を不思議と思いながら、孤立無援な嫁のちーちゃんです。
夫の実家にはもう90近い祖母と100近い祖父が同居しています。
90近い祖母は姑と最高に折り合いが悪く、
私たち夫婦が結婚した当時からずっと、
姑はネチネチと過激な悪口雑言を嫁の私に聞かせていました。
孫たちに対してみせる猫なで声とは一転、
ヒステリックに攻撃的に祖母に咬みつくような声を投げ、
祖母の話には全く取り合おうとしません。
でも、確かに祖母も家事をしなかったり自慢話が多かったりと、
日々一緒に同居するためにすべき協力態度は欠けていたし、
何より体力がなくていつも自分が一番しんどいと思い込んでいたし、
姑にしたらカンにさわる存在だったのは事実のようです。
夫の祖母が認知症になり、入退院を繰り返したり、施設へ出たり入ったりするようになり、
姑のただでさえヒステリックな態度はエスカレートするばかりでした。
初期からいきなり、うえしたの区別がつかなくなり、家は大小便で汚れるし、
祖母自体もたびたびヒステリックに泣いたりわめいたりしていたらしいです。
姑は週に1度くらいは遠距離電話で私に詳細な愚痴を長々と語り、
遠方に住み、何の手伝いもできぬ私は聞いてあげるくらいしかできなかったです。
不思議な性格の姑ですが、やっぱりいろいろつらいことも多かったことでしょう。
とはいえ、ほとんど自宅介護はしないで、ずっと施設に預けていて、
食事も身の回りの世話もプロの手にゆだねていたんだし、
洗たく物さえ舅が1週間に一度届けていた程度。
いつ聞いても「早く死ねばいいのに」「死にそうだから、そのつもりでいて」
「通夜・葬式の日取りや段取りは・・・」「大阪に帰ってきて手つだってな」
そんな言葉にいきつくので、本当に悲しい不愉快な気分でいっぱいになります。
・・・ちなみに、まったく冗談で言っていないのです。本音らしいです。
そういう非倫理的な発言を、私の二人の娘の前でも平気で話すので、
その点がとても不思議です。勘弁してほしいです。非常識さにあきれます。
風邪をひいたとか、ベッドから落ちて骨折したとか、インフルエンザになったとか、
肺炎起こしたとか、夫の祖母が発病したり入院などするたびいちいち、
「もういつなんどき死ぬか判らないから、準備しといて。」の電話をもらうので、
今度は何や?とオオカミ少年状態です。
「もう人間の表情やない。」
「本当にもう、反応もなくなった。」
「今度は本当に死ぬかも。」と言われ、四国の親戚を呼び寄せたが、
持ち直し回復したのでまた四国へ帰ったそうです。
夫の祖母が施設にいて自宅にいない間は、今度は祖父が標的です。
目ももうかなり悪く、耳がほとんど聞こえず、
周囲と会話が成り立たない状態の98歳ですが、
自分で歩き、トイレも風呂も自分で入り、着替えや食事も自分でできます。
聞こえないのをいいことに、ヒステリックに悪口雑言を話す姑の姿を、
お盆もお正月も帰省して見ないといけないのが苦痛です。
夫の祖母がなくなったら、
多分千葉から大阪へ新幹線で行き、
数泊しないといけなくなるのでしょう。
いや。身内の不幸ですから嫁としてもちろん頑張って働こうと思うのです。
当然です。
でも、あの姑のそばへ・・・。(しかも嫁は私一人・・・。)
悪夢だと思いませんか。
できればぐっとぐぐっと長生きしてください、おおおばあ様。
新しい先生
娘たちのバイオリンの先生を探すため、
引っ越しが決まってすぐから1ケ月ほどの時間、
暇を見つけてはネット検索を主にやってみました。
先生もそうですが、ジュニアオケも探しました。
子供が入れるオーケストラは千葉にいくつかあり、
でもさすがに小学1年からというのはない。
ゆきが小学3年なのですが、小学4年から、ぐらいがせいぜい。
以前のところが、ゆきもさとみも年長児で入れたので、
特殊だったのはわかっているのですが、
まあ、できたらさとみもゆきも千葉でも一緒に頑張れたらいいなあ。
バイオリンの先生も何人かいて、
まあほとんど隣の大きな駅周辺に教室あり。
HPだのなんだのではさっぱりどんな教室なのか想像もできず、
リストアップして順番に見学してみようとしていました。
で、まず一番近くのジュニアオケの練習日が、
東京での発表会の翌日だったので、
その見学ができるかどうかメールで問い合わせることから始めました。
問い合わせのメールからお返事は約1時間ほど。速い!
わっ!ジュニアオケの主宰者はプロオケのバイオリン奏者だ!
しかも電話帳にもネット検索にも出てこないバイオリンの先生だ!
そこから話はどんどんとんとん進み・・・。
ジュニアオケの見学の日、
これが初めての音合わせにしては、とっても美しい正確な合奏で、
しかも指導の先生の指示の細かい事、子どもたちの緊張感の高さ、
そして何しろちゃんといろんな楽器が入った本格的なオーケストラということに、
すっかり圧倒されました。
その後、その先生の自宅にて説明や話を聞き、
教えることにとても熱心で詳細をきっちり詰めて指導する人であることを知りました。
娘たちが今、必要なのに欠けている基礎的な技術と知識を、
この先生なら確かな知識と技術と熱意を持って、
惜しみなく与えてくれそう。
ただ、問題は「かなり練習量を増やされそう」ということ。
娘たちは将来バイオリニストになりたいだの何だの夢を語りますが、
うちは娘たちにプロになってもらうつもりはないし、
まずなれるとも思っていない。
あまりこの楽器にそれほど人生の大半の時間を費やす予定はない。
でも、どうせ何かに取り組むのなら、
こう、自分の「がんばる力」が発揮できて一生身につく方がいいよね。
どこまでついていけるか分らないけれど、
娘たちのがんばりと将来を信じ、
この先生との出逢いのミラクルを信じようかな。
ついでにいうと、月謝は高くない。
家も近い。
ジュニアオケにも入らせてもらえそう。
そんなこんなで、東京のときとは違って、
何と一人目で先生探しが終了したのでした。
(東京の時は4人目でした。)
レッスンを受けることになった途端、
先生の機関銃のようなトークがやっぱりいきなり始まりました。
楽器の手入れ、調整、周辺道具の使い方、選び方、
テキストについて、選び方、レッスンのすすめ方、考え方、
楽器の構え方、左手、右手、ボーイング、その他について、
本当に前の先生とは違っていてびっくりびっくり。
娘たちに少し演奏させ、何が足りないか判断し、
それを考えにいれてどんどん指導計画を立てていきます。
楽器の手入れなどについて、子どもに直接やり方を教え、
(私も全然知らぬままやっていたので)とってもためになりました。
無駄なことは全然言わないのに、あっという間にレッスン時間終了。
ジェットコースターみたいです。
何がすごいってまた先生からのメールがすごい。
無駄なことは書かないのにとっても文章が長く、熱い。
テキストや弦、松脂、メトロノームなどをどういうのにすべきか、
どこでどう買うと安いか、それでどういう練習をすればよいのか、
どうしてこの品は使わないのか、どうしてこの店で調整すべきでないのか。
何にも知らない土地にきて、バイオリンに関してさっぱり知識のない私には、
大変わかりやすく、助かります。
しかし、そうではない親からしたら、とってもウザイかも。
・・・で、ゆきとさとみについて、
今まで使っていた篠崎バイオリン教本1〜4巻は、
この先生は使わないらしく、
先生にとって「これは弾くべき」という曲が何曲も弾かず仕舞いということで、
ゆきにとっては、おっそろしくレベルを下げてレッスンをし直すことになりました。
そして、確かにどうしてしなかったんだろう?と私も思っていた
「音階教本」「指の鍛練の教本」「鈴木教本の有名曲」などを追加しました。
落ち着いたら「カイザー」を最初からやり直しし始めるとのこと。
さとみにとっては、あまりレベルを下げることはしないようですが、
「新しいバイオリン教本3巻」にテキストを変更し、
楽典・ソルフェージュができていないということで、
「音階教本」と共に「楽典ドリル」などを勉強していくことになりました。
合わせて5月からのジュニアオケ入団のために、
その楽譜が既に渡され、効率的に練習するようにスケジュール表まで渡されました。
ゆきはさほど苦労なく弾けますが、さとみにとっては多少難しい曲もあり、
親子で悩みながら頑張っているところです。
引っ越しが決まってすぐから1ケ月ほどの時間、
暇を見つけてはネット検索を主にやってみました。
先生もそうですが、ジュニアオケも探しました。
子供が入れるオーケストラは千葉にいくつかあり、
でもさすがに小学1年からというのはない。
ゆきが小学3年なのですが、小学4年から、ぐらいがせいぜい。
以前のところが、ゆきもさとみも年長児で入れたので、
特殊だったのはわかっているのですが、
まあ、できたらさとみもゆきも千葉でも一緒に頑張れたらいいなあ。
バイオリンの先生も何人かいて、
まあほとんど隣の大きな駅周辺に教室あり。
HPだのなんだのではさっぱりどんな教室なのか想像もできず、
リストアップして順番に見学してみようとしていました。
で、まず一番近くのジュニアオケの練習日が、
東京での発表会の翌日だったので、
その見学ができるかどうかメールで問い合わせることから始めました。
問い合わせのメールからお返事は約1時間ほど。速い!
わっ!ジュニアオケの主宰者はプロオケのバイオリン奏者だ!
しかも電話帳にもネット検索にも出てこないバイオリンの先生だ!
そこから話はどんどんとんとん進み・・・。
ジュニアオケの見学の日、
これが初めての音合わせにしては、とっても美しい正確な合奏で、
しかも指導の先生の指示の細かい事、子どもたちの緊張感の高さ、
そして何しろちゃんといろんな楽器が入った本格的なオーケストラということに、
すっかり圧倒されました。
その後、その先生の自宅にて説明や話を聞き、
教えることにとても熱心で詳細をきっちり詰めて指導する人であることを知りました。
娘たちが今、必要なのに欠けている基礎的な技術と知識を、
この先生なら確かな知識と技術と熱意を持って、
惜しみなく与えてくれそう。
ただ、問題は「かなり練習量を増やされそう」ということ。
娘たちは将来バイオリニストになりたいだの何だの夢を語りますが、
うちは娘たちにプロになってもらうつもりはないし、
まずなれるとも思っていない。
あまりこの楽器にそれほど人生の大半の時間を費やす予定はない。
でも、どうせ何かに取り組むのなら、
こう、自分の「がんばる力」が発揮できて一生身につく方がいいよね。
どこまでついていけるか分らないけれど、
娘たちのがんばりと将来を信じ、
この先生との出逢いのミラクルを信じようかな。
ついでにいうと、月謝は高くない。
家も近い。
ジュニアオケにも入らせてもらえそう。
そんなこんなで、東京のときとは違って、
何と一人目で先生探しが終了したのでした。
(東京の時は4人目でした。)
レッスンを受けることになった途端、
先生の機関銃のようなトークがやっぱりいきなり始まりました。
楽器の手入れ、調整、周辺道具の使い方、選び方、
テキストについて、選び方、レッスンのすすめ方、考え方、
楽器の構え方、左手、右手、ボーイング、その他について、
本当に前の先生とは違っていてびっくりびっくり。
娘たちに少し演奏させ、何が足りないか判断し、
それを考えにいれてどんどん指導計画を立てていきます。
楽器の手入れなどについて、子どもに直接やり方を教え、
(私も全然知らぬままやっていたので)とってもためになりました。
無駄なことは全然言わないのに、あっという間にレッスン時間終了。
ジェットコースターみたいです。
何がすごいってまた先生からのメールがすごい。
無駄なことは書かないのにとっても文章が長く、熱い。
テキストや弦、松脂、メトロノームなどをどういうのにすべきか、
どこでどう買うと安いか、それでどういう練習をすればよいのか、
どうしてこの品は使わないのか、どうしてこの店で調整すべきでないのか。
何にも知らない土地にきて、バイオリンに関してさっぱり知識のない私には、
大変わかりやすく、助かります。
しかし、そうではない親からしたら、とってもウザイかも。
・・・で、ゆきとさとみについて、
今まで使っていた篠崎バイオリン教本1〜4巻は、
この先生は使わないらしく、
先生にとって「これは弾くべき」という曲が何曲も弾かず仕舞いということで、
ゆきにとっては、おっそろしくレベルを下げてレッスンをし直すことになりました。
そして、確かにどうしてしなかったんだろう?と私も思っていた
「音階教本」「指の鍛練の教本」「鈴木教本の有名曲」などを追加しました。
落ち着いたら「カイザー」を最初からやり直しし始めるとのこと。
さとみにとっては、あまりレベルを下げることはしないようですが、
「新しいバイオリン教本3巻」にテキストを変更し、
楽典・ソルフェージュができていないということで、
「音階教本」と共に「楽典ドリル」などを勉強していくことになりました。
合わせて5月からのジュニアオケ入団のために、
その楽譜が既に渡され、効率的に練習するようにスケジュール表まで渡されました。
ゆきはさほど苦労なく弾けますが、さとみにとっては多少難しい曲もあり、
親子で悩みながら頑張っているところです。

